なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
引用元:amazon.co.jp/なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
我々は、国際政治は非情であることを、知らねばならない 我々は、国際政治は非情であることを、知らねばならない By 織田多宇人
今日、日本国民の多くが、先の対米戦争が日本が仕掛けた無謀な戦争だったと、信じこまされている。だが事実は全く違う。アメリカは日本が真珠湾を攻撃するかなり前から、日本と戦って、日本を屈服させ、無力化することを決定していた。日本はアメリカが、日本のほうからアメリカに戦争を仕掛けてくるように、企んでいたのに気付かず、政府と軍をあげて独り芝居を演じていた。およそのことはある程度知ってはいたが、時代を追って分かり易くかつ明確にこの流れが書かれた本は寡聞にして知らない。真珠湾攻撃の五ヶ月前に中国からの日本本土爆撃命令にルーズベルトが署名していたことも全く知らなかった。機密文書が徐々に公開されるに従って真実が現れてきた。
ルーズベルトは1936年、日本が真珠湾を攻撃する五年前に中国の蒋介石政権に、戦闘機とアメリカ陸軍航空隊のパイロットを義勇兵として提供する計画を実現することを命じる極秘の大統領令を発していた。ルーズベルトは中国については全く無知であったにもかかわらず、幼少の頃から、母方の祖父の影響を受けて、中国に好意をいだいていた。
1940年9月末から10月の第一週にかけて、アメリカは日本の外交暗号の全てと、海軍の暗号の一部を解読することに成功していた。
ルーズベルトは、イギリスを救うために、アメリカがヨーロッパ戦争に参戦することを強く願っていたが、アメリカの世論は第一次大戦の惨禍に懲りて「孤立主義」が支配していて、それは出来なかった。そこで日本にアメリカとの戦争を強いて、ヨーロッパの戦争に裏口から入ることを企てた。蒋介石政権に可能な限りの支援を行い、米英が協力して日本に対して完全な禁輸を実施する、蘭印に日本へ石油を輸出させない等々。
日本は日米関係を打開しようと必死だったが、なんとルーズベルトは、蒋介石政権に爆撃機を供与し、アメリカの義勇兵に操縦させ、中国の航空基地から発進させる日本本土爆撃作戦計画書に署名しているのである。真珠湾攻撃の五ヶ月前だった。結果的にはヨーロッパ戦線が急迫し、大型爆撃機をイギリスに回さなくてはならなくなり実施されなかったが。
近衛は日米首脳会談に政治生命を賭けて望み、日米間の障壁を除こうとしたが、会談を歓迎するふりをするだけで、日本と戦うことを決めているルーズベルトは日本をあやし続けた。
天皇陛下は一貫して平和を望まれ、政府も最後まで外交による打開に努力していた。しかし情報はアメリカに筒抜けで、ルーズベルトは日本の攻撃を待っていたのである。
開戦強要のアメリカの最後の一手がハルノートである。それまで日米交渉で積み上げてきたものを無視した、受諾されることを期待していない宣戦布告の文書だった。東京裁判のインドのパル判事は「同じような通牒を受取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国にたいして戈をとって起ちあがったであろう」と言っている。
暗号解読で、事前に日本の動きを知っていたアメリカは新鋭艦を名目を作って真珠湾の外に待避させていて、真珠湾に残ったのはほとんどが第一次大戦からの旧型艦だった。しかも事前に掴んでいた真珠湾攻撃の情報を肝心のハワイの太平洋艦隊司令官と陸軍司令官だけには知らせず、ルーズベルトはアメリカをヨーロッパの戦争に参戦させるために、日本が真珠湾を攻撃することを知りつつ、ハワイの太平洋艦隊を生け贄にしたのだった。
日本が降伏した後に行われた、日本が二度と立ち上がれないように国際法違反の検閲を含む徹底した終戦後の統治政策、押し付けられた日本国憲法と言う名の不平等条約、復讐劇というよりも日本国民に日本が犯罪国家であると思い込ませるために行われた東京裁判等にはアメリカの強い意志が現れている。
第2章では、イギリス人で、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長ヘンリー・S・ストークス氏が、アメリカはペリーの浦賀来航以来、傲る白人優位主義と、キリスト教世界観によって駆られて、日本を屈従させようとしてきたと、論じている。ペリーの行為は「神の意志」によって正当化された侵略行為だった。ペリーも白人キリスト教徒だけが文明世界の家族で、それ以外は孤児のような野蛮人だという、世界観に立脚していた。2000年以上の歴史を紡いできた日本が、果たしてペリーが神に祈ったような未開の蛮地だったのだろうか。多くの外国人が当時世界一の人口の江戸を、高い文化を持った治安の良い理想的な首都と認めていた。
第一次大戦に勝った連合軍の一員だった日本はパリ講和会議で、人種差別撤廃提案を提出し、圧倒的多数で可決されたにもかかわらず、アメリカのウィルソン大統領は重大案件全会一致が原則だとこれを葬った。
日露戦争が白人の不敗神話を崩壊したのは事実だが、日本帝国の軍隊が、香港、ビルマ、インドシナ、インドといった、西側帝国主義の要塞を次々と攻略していった素早さは、それまで白人は不敗と信じていた諸民族を驚愕させた。インドネシアでは敗戦後も多くの日本兵が独立義勇軍に参加してオランダ軍と戦った。しかも侵略された国の青年に軍事教練を施し、近代組織の経営を教えている。日本がアジアの国々を独立させるために、努力を惜しまなかったと見るのが正しい認識といえる。なんとインドネシアは独立記念塔の碑に日本の皇紀の年号を用いている。それほど日本に感謝していたのである。日本はフィリピン、インドなど他のアジア諸国にも同様の対応をしている。
日本は20世紀の人種平等の神話を作ることによって、日本太古の国造りの神話を、20世紀になって再演して見せた。ペリーはパンドラの箱を開けたのだった。パンドラの箱には悪しきものだけでなく、希望も入っていたのである。
著者(加瀬英明)は言っている。「私はアメリカが70年以上も前に、卑劣極まりない手段を弄して、日本を追い詰めたからと言って、嫌米感情を煽ろうとは少しも思わない。日本国民は国際政治が非情であることを、知らねばならない」と。