第9議定書・第10議定書
第9議定書
人民再教育に関するメーソン原理の適用。メーソンの標語。反ユダヤ主義の役割。メーソンの独裁。テロル。誰がメーソンに仕えるか。ゴイム国家の「利口」と「盲目」勢力の意味。権威と群集の交流。リベラリズムの放従。教育と訓練の奪取。嘘の学説。法律の解釈。「地下鉄道」(首都の)。
われわれの原理を実行に移すにあたっては、諸兄が現に居住し活動している国々の人民の性格を考慮していただきたい。われわれが作った鋳型で人民を再教育し終らないうちは、一律に原則を当てはめようとしても成功はしない。しかし、慎重に適用するならばものの十年とたたないうちに、最も頑固な人民でも変わり、すでにわれわれに従っている列伍に新しく加わってくるのが解るだろう。
リベラルな言葉、われらがメーソンの標語として効果の高い「自由、平等、友愛」は、われわれの王国が到来した暁には、もはや標語としては使わせず、「自由の権利、平等の義務、友愛の理想」というふうに単なる理想主義を表現したものに変える。これがわれわれのやり方・・牛は角を捕えよ・・なのである……実際にはわれわれは、われわれ自身以外のものは、あらゆる種類の支配を一掃したけれども、法律上はまだ数多くのものが残っている。今日では、どこかの国がわれらに対して反抗を示したとしても、われわれの裁量下、われわれの指導下にあって形式的に反抗してあるに過ぎない。一例として反ユダヤ主義は、われわれが下層の兄弟たち[ユダヤ人]を監視するには必要欠くべからざるものだからである。この問題に関してはすでに討議が重ねられているので、これ以上立ち入らない。
われわれの行動範囲には限界を遮るものがない。われらの超政府はすでに強力絶大な言葉で現わされている超法規的な状態で存続している・・すなわち独裁である。私は衷心からから申し上げるが、しかるべき時に、われわれは法律を作り、裁判と宣告を行う。われわれは生殺与奪を実行する。われわれは全軍の先頭にあって、指導者の軍馬にまたがる。われわれは意志の力で支配する。なぜならば、かつて権力を握っていた党派の残党も、今やわれわれに屈伏しわれわれの掌中にあるのである。われらの手中にある武器は、貧欲、容赦なき復讐、憎悪と敵意に燃える、果てしなき野望である。
われわれから生れるもの、それはすべてを巻き込み行く恐怖である。帝政復興主義者、煽動家、社会主義者、共産主義者、あらゆる種類のユートピア夢想家といったあらゆる意見、あらゆる主義の人物たちがわれわれの用を勤めている。われわれはかれらを利用して、あらゆる労役を課している。かれらの一人一人が、権威の最後の残党まで叩き潰さんがために、現在秩序を転覆させることに燃え上がっている。これらの行動により、全世界の国々が拷問を受けている。各国政府はもう止めてくれと手すり足すりし、平和のためならどんなことでも代償に出すからという気になっている。だが、われわれは、かれらが心底からわれらに服従し、率直にわれらの国際的超政権を受け入れるまでは、平和を与えるわけには行かない。
人民は社会主義の問題を国際的協調という手段で解決する必要を感じて遠吠えを挙げている。ばらばらに分れた党派はわれらの掌中に飛び込んでいる。というのは、分立抗争すれば金が要るが、金はすべてのわれらの手中にあるからである。
われわれにはゴイムの王たちのうちの「利口な」勢力がゴイム群集の「盲目的な」力と連合しはしないかという懸念があったが、そのような可能性に対する打つべき手はすべて打った。両者の間でお互いに恐怖の念を抱かせるという防波堤を設けたのである。このようにしておけば、人民の盲目勢力は相変らずわれわれを支持し続け、われわれのみがかれらに指導者を与え、もちろん、かれらをわれらが目指す目標へと引っ張って行くのである。
盲目的な群集の手がわれわれの指導の手から離れないようにするためには、時々かれらの中に入って直接交流を図らなければならない。実際にわれわれが自身が行えなければ、とにかく最も信頼の置ける兄弟を通じて行う必要がある。われわれだけが唯一の権威者となった時には、われわれはそれこそ市場のような所で親しく人民と話し合うだろう。また、われわれが目指す方向にかれらを向けさせるように政治に関わる問題を指導してやるだろう。
田舎の学校で教えることを誰が点検するのか? 政府や王の特命全権公使が語ることは、直ちに全国に広まらずにはすまない。それは人民の声によって広まるのである。
破壊すべき時期でない時にゴイムの諸制度を破壊しないようにするため、われわれは巧妙にそっと手をかけた。そして、かれらの機械を動かしているバネの端をつまんだ。これらのバネは精妙にしかも秩序正しく動いていた。われわれはそのバネを混沌放従のリベラリズムに代えた。われわれは法律の運営、選挙の管理、新聞、個人の自由を、原理的にはどうにでも加工できる生存物[人間]の土台である教育と訓練というバネを操った。
われわれは、われわれが教え込んだことではあるけれども、ゴイムの若者たちに、われわれには嘘と解っている主義や学説を注入することによって、かれらを翻弄し困惑させ堕落させてきた。
現行の法律については、内容的には変えることなく、単にねじ曲げて反対の解釈をすることによって、結果としては大層な成果を挙げてきた。その成果は、第一に解釈が法律を覆い隠すという事実に、次いで立法の錯綜した糸から何かを引き出すのは不可能なために、政府の目から法が完全に姿を隠すという点に明かに見てとれる。
法律を文字に拘泥せずに解釈するという学説は、ここに起源がある。
諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしもゴイムが真相を嗅ぎつけたら、かれらは武器を手にして蜂起すると言われる方もおられるようが、それに備えるに西欧においては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する・・すなわち、決定的な瞬間が来る前にすべての首都に地下鉄道、大都市の地下通路が設けられ、事到ればそれらの首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばすのである。
第10議定書
政事のうわべ。狡猾の〝天才〟。メーソンのクーデタは何を約束するか?
万人の苦難。個人尊重。メーソンの指導者。メーソン指導の天才。機関とその機能。リベラリズムの猛毒。憲法・・党派混乱の学校。共和国の時代。大統領・・メーソンの人形。大統領の責任。〝パナマ事件〟。閣僚と大統領の役割。メーソン・・立法機関。新共和国憲法。メーソンの専制への移行。〝全世界王〟宣言の瞬間。予防接種とその他メーソンのウイルス。
本日は前の話と重複することから始めるが、記憶に留めていただきたいのは、各国政府と人民は政事のことはうわべだけしか見ないで満足しているということである。実際のところ、どれほどゴイムは、かれらの代表者たちが全力を傾けて楽しませてくれる事の核心を把握しているのか? そのことを細部まで考慮に入れることが、われわれの方針にとっては最高に重要なことである。権力の分立、言論の自由、新聞、宗教(信仰)、法の前の平等な結社の自由、財産の不可侵性、居住、徴税(脱税の考え方)、法の遡及力を熟慮するようにすれば、得る所が多いであろう。これらの問題はすべて、直接手を出したり人民の前であからさまにすべきではないような事どもである。どうしても直接触れなければならない際には、明確に言い切ってはならない。現在の法についてのわれわれの原則的な考えを微に入り細に穿って語ることなく、単にさらりと言ってのけるだけに留めなくてはならない。なぜ沈黙を守らなければならないかというと、原理を明かさなければ、われわれは行動の自由を確保しておいて、かれらの注意を惹くことなくあれこれとそらせるが、一部でも明言してしまうと、たった一言だけで何もかも与えてしまったことになるからである。群集には一種特別な癖があり、政治力のある天才を尊敬し、そのような人物の悪徳行為に対しては賞賛をこめてこう言う、「ずるい! ほんとにずるい。だが、頭がいい!……ペテンだ。しかし、なんだな、うまいことやったもんだな、どえらいこと仕出かすもんだ、大胆極まりないぜ!」
われわれは、すべての国々を新たな重要な機構、われわれが練り上げてきた計画に惹きつけることを期待する。これが、何をさておいても、われわれが武装し、力を貯え、不退転の意志と絶対的な大胆さを身に付けなければならない理由であり、これがわが活動家たちの手でわれらの行手を遮るものすべてを粉砕することに役立つのである。
われわれのクーデターが成功した暁には、われわれはさまざまの階層の人々にこう言うだろう。「何もかもが恐しく悪くなり、すべてが我慢できない状態に陥ったが、われわれは諸君がこうむっている苦痛の原因・・民族心、国境、身分の違い・・を根絶しつつある。もちろん、諸君がわれわれを断罪するのは自由である。だが、われわれが提供するものに挑戦もしないうちに断罪するとしたら、それはちょっと大胆過ぎるというものではないか」……すると群集はわれわれを讃え、希望と期待にふくれ上がり全員こぞって手を差しのべ、われわれを激励し、われわれを讃える。人類の一番小さな成員グループにも、グループごとに集会を催させ同意を取り付けてきた選挙という、われわれが揃えてきた道具立てを使って、われわれは世界王の座に就く。このような選挙が、われわれの目的に役立ち、最終的にはわれわれに有罪宣告を下す前に、全員一致でわれわれともっと親しくなりたいと望むようになる。
以上のことを確保するには、絶対的な多数を獲得すべく、階級や資格の別なく万人に投票させなければならない。知識人や有産者階級だけでは絶対多数は獲得できない。このように、自分個人が第一という考えを全員に植え込むことによって、ゴイムの家族主義や家庭教育尊重心を粉砕し、癖のある考え方の人間は引き離して一掃してしまう。われわれが操る群集は、かれらを第一線に立たせないし証言の機会すら与えてやらない。群集は、従順に応待すれば見返りがあるわれわれの話を聞くことだけに慣らされる。このようにして、群集の指導者としてわれわれがかれらの頭に据えてやった代理人の指導なくしては、どんな方向へも一歩も足が踏み出せないほど総員を一大盲目力に仕上げるのである。人民は新しい指導者たちが自分たちの生計、報酬、あらゆる種類の利益になることを握っていることが判るから、この方式に服従する。
政府の計画というものは、一人の頭脳で万端出来上っているべきである。なぜならば、多数の頭で部分部分をばらばらに作らせると、決して確固不動のものにはならない。それゆえ、われわれは行動計画を知っているのは良いが、その巧妙さ、各部分の緊密な連関性、各要点の隠れた意味を破壊しないようにするには、討議してはならない。度重なる投票という手段でこの種の労作を討論し修正を加えることは、邪推と誤解の烙印を押すことになり諸計画の進行と結びつきを妨げる。われわれは計画が強力に適切に仕組まれることを欲する。ゆえに、われわれはわれわれの指導の天才の労作を、群集やあるいは特別な団体にすら毒牙にかけさせてはならない。
これらの計画は現存する諸団体をまだ転覆はさせないだろう。それらの経済を変化させるだけで、それによって進歩の動きを全体的に結び付け、われわれの計画に従った道に導くのである。
すべての国々には名前は似たり寄ったりだが、内実は同じものが存在する。議会、内閣、立法府、評議会、司法府、行政府などである。こういった機関の相互機能を説明する必要はない。なぜなら諸兄はどれも御存知のものだからである。が、一つだけ注意しておきたいのは、ここに名を挙げた機関は、国家の中ではある重要な役割を担っているという点である。この〝重要な〟という言葉に御留意願いたい。これは機関のことを指しているのではなく、その機能のことを言っているのである。これらの機関はいくつもの部分に分れていて、その全体で政府という機能・・行政、立法、司法・・を果たしている。そこでは、分割された機関は人体の臓器に似た働きをするようになっている。もしも国家機構の一部を損傷すれば、国家は病気にかかり、死ぬことになることは人体と同様である。
われわれが国家機関にリベラリズムの毒を注ぎ込んだら、その政治複合体全体がある変化を起こし、国家が不治の病い・・敗血症・・に犯され、あとは悶絶死という終焉を待つばかりである。
リベラリズムは立憲国家を作った。それはゴイムにとっては唯一の安全装置である専制国家に代るものであった。よく御存知のように、憲法は混乱、誤解、争論、見解の相違、各党派の実りなき煽動等の一切合切の学校・・一言にして言えば、これら何もかもが国家の機能を破壊する学校以外の何ものでもない。「おしゃべり屋」連中の手助けをする護民官は、ほかならぬ新聞である。新聞屋は支配者に怠慢無能の烙印を押し、よって無益無用であると断罪した。実にこのために多くの国々で支配者が退位させられたのである。その時であった、共和国時代到来の可能性が見えたのは。その時であった、われわれが支配者に代えて政府の似顔絵・・群集、すなわちわれらが奴隷、われらの人形たちの中から拾い上げた大統領・・を置き換えたのは。これはゴイ人民の地下に仕掛けられた地雷であった。敢えて申し上げるが、ゴイ人民の地下に、である。
近い将来、われわれは大統領を責任のある役職にするであろう。
その時までに、われわれは表向きの役には就かず、われらの人格なき人形たちに責任を負わせ続けるだろう。権力亡者がだんだん少なくなったとしても、われわれの知ったことではない。大統領のなり手が少なくなり暗礁に乗り上げるとしても、暗礁があろうがあるまいが、国家は最後には崩壊に向って行くのである。
われわれの計画が然るべき成果を挙げるためには、パナマ汚職事件その他のような、過去に隠れた古傷を持っている候補を選んで選挙に臨む・・すると、そういう連中は旧悪を暴露される怖さと権力を得た者の常で、すなわち、大統領の地位に付きものの特権と名譽を失うまいとして、われわれの計画達成の当てにしてよい代理人となるのである。[フランス議会の]下院は、大統領を選出し、援護し、保護するであろうが、われわれは新法案を提案したり既成法案を修正したりする権限を奪ってしまう。というのは、この権限は責任ある大統領、われらの手中にある傀儡に、われわれが与えるのである。そうすれば事の成行きとして、大統領の権威は四方八方から攻撃の的となる。だが、われわれは自己防衛の手段として、人民に呼びかける権限、代議員たちの頭越しに直接人民に呼びかけて決定させる、すなわち、大統領といえども一員である盲目の奴隷・・群集の大多数・・に呼びかける権限を彼に確保してやる。そのこととは別に、われわれは大統領に宣戦布告の権限を与えてやる。それには、国軍の長であり新共和国憲法の責任ある代表者たる大統領は、新共和国憲法防衛の際に備え、軍を自由に動かせなければならないと、説明しておく。
容易に理解されるように、この状況下にあって祭壇の鍵を手中にしているのはわれわれであり、われわれ以外の何者にも断じて立法権を行使させない。
その他に、新共和国憲法を成立させたら、政治的機密保持という名目で政府の処置に対する議会の質問を一切封じる。その上、新憲法によって議員の数を最少限に抑え、それに比例させ政治的煽動と政治熱を減らす。だが、めったに起こることではないとは思うが、もしも最少限に縮小された議会が反抗の火の手を挙げるならば、われわれは即刻全人民という絶対大多数に直接檄を発して議会を廃棄するであろう……大統領は上下両院の議長・副議長の任命が杖となる。通常の議会の会期とは異なって、議員の任期を数ヵ月に縮める。その上、行政の長である大統領には、議会召集解散の権限を持たせる。特に、解散した場合は、新議員任命を延期できるものとする。しかし、われわれの計画がまだ熟成していなくて、実際には非合法の状態でこれら一連のことを全部実行して、なおかつわれわれが立てた大統領に全責任を負わせないためには、大統領周辺の大臣や高官を教唆して、かれらが自分たちの裁量でやったことであり、かれらを身代りにして責任を取らせることで、大統領の責任を回避させる……この件に関しては、われわれは特別に上院、最高行政裁判所、閣僚会議に役割を与えるが、一個人には勧めない。
大統領は、幾通りにも解釈できる法律の意味を、われわれの意図する通りに解釈するであろう。大統領はさらに進んで、われわれが廃止の必要を指示すれば、法律を廃止することもやるだろう。その他に、大統領は臨時法を、また、国利国益のためにはこれが必要だと言いつくろって、憲法の枠から逸脱した新しい法案すら提案する権限を持つだろう。
かような手を打っておくと、少しづつまた少しづつ、一歩一歩と破壊する力が働いて、われわれが諸権利を手に入れた当初、ことごとくの憲法を気付かれないうちに無効にさせるために憲法の中に隠し据え、ねじ込んでおいたものすべてが、われらの独裁政権があらゆる政体の政府を束ねる日を到来させるのである。
憲法廃止以前にわれらの独裁者が認められるかも知れぬが、その秋が来ればそれまでの支配者たちの無能無策に・・われわれが仕組んだことであるのだが・・業を煮やした人民たちは、大声で叫ぶだろう。「奴らを追放しろ、世界を治めるのは一人でいい。おれたちをまとめて争いの種をなくしてくれ・・国境、民族、宗教、国債、そんなものは御免だ・・平和と秩序をくれ、今までの支配者や議員が決してくれなかった平和と秩序を!」
だが、諸氏は完璧に理解されていると思う、すべての国々でこのような叫びを挙げさせるには、すべての国々で、紛争、憎悪、闘争、羨望、さらに拷問、さらに飢餓によって、人間性が疲労困憊の極に達するまで、人民と政府との関係を悪化させることが絶対不可欠であることを。これら悪の予防接種を施すことによって、また欠乏によって、ゴイムは金銭その他すべてのことにわたってわれわれの支配下に入る以外のことは考えなくなる。
ただし、もしも世界の国民にホッと一息でも入れさせるならば、われわれが渇望する時は九分九厘到来しないのである。