第23議定書・第24議定書

第23議定書

  奢侈品製造業の縮小。親方工業。失業。酩酊の禁止。旧社会の追放と新形態の復活。神が選んだもの。


  人民を服従に慣らすためには謙遜ということを教え込む必要があり、従って奢侈品の生産を縮小すべきである。これによって贅沢を張り合う卑しい根性を改める。われわれは小さな親方製造業を再編成して、個人資本の工業家を倒すという狙いをもっている。大規模の製造業は必ずしも意識的ではないにせよ、政府に反対する考え方を群集に植えつけるので、この処置は欠かせない。小さな親方たちは罷業を知らず、既存の秩序にしっかり結び付いている。罷業は政府にとっては破滅的な一大問題である。われわれは時の権力をわれらの手に移す時に、この手を使う。酩酊も法律によって禁止し、酒の力で野獣に変わる人間性に対する罪として処罰する。

  重ねて述べるが、臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては、盲目的に服従する。かれらはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……かれらは王者に天使の心を期待するのか?

 かれらが王者に見たいのは力、力、力の権化なのである。

  現存する支配者たちに代わるわれらが至高の君主は、何をしなければならないか。われわれが意気阻喪させた社会、神の権威すら失墜させた社会、四方八方から無秩序混乱の火の手に包まれている真中で、支配者たちはその存在を引きずって歩いているが、われらが王は何よりもこの燃え上がる炎を消し止める事に身を投じなければならない。それゆえに、王は、かれらを王の血の海で溺死させるけれども、これら現存する社会を根絶せざるをえず、改めてかれらをよく組織された軍隊に復活再編成し、ただれた国家を覆うあらゆる種類の伝染病に対して意織的に闘わせなければならない。〝神に選ばれた者〟は、理性ならぬ本能によって、また人間性ならぬ獣性によって動くばかげた力を粉砕すべく天から下される。この力は今は自由の原理という仮面をつけて略奪とあらゆる種類の暴力をはたらき凱歌を挙げているが、この力が秩序破壊の跡にイスラエル王を王座に据えるのである。だが、かれらの役割は王が王国に入ったその瞬間に終る。王国の路からは、その残骸の一片すらも残さないように一掃される必要がある。

  その時、われわれは世界の人民に次のように言うことができるだろう。「神に感謝せよ。額に人類宿命の験(しるし)を付けた方の前にひれ伏せ。その験は神おん自らが星を導いてその方に付けられたのだ。その方を措いては生来の罪と悪から解き放って下さる方はいないのだ」。



第24議定書

  ダヴィデ王(?)の地固め。王の修業。直系相続の保留。王と三人の賢者。王は宿命。ユダヤ王の完璧性。


  次にダヴィデ王朝の土台を世界最後の段階まで一層強固にする方法に進もう。

  この方法は、何よりも第一に、今日まで世界の全問題を遂行し、全人類の思想教育を指導してきたわれらの賢人長老たちが積み重ねてきた伝統的な方法によるものである。

  ダヴィデ王の子孫のうちの数人が、相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には、政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが、常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は、このような秘義を授けられたことがない者には、政府を委すことはできないということを徹底させることにある。

  これらの人々にのみ、何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ、私がこれまでに述べたような計画の実際化や、政治経済運動や社会科学研究の全成果・・一言で言えば、人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理・・が伝授される。

  直系の子孫が王位継承から外されるのは、秘義伝授の過程で浅薄・軟弱その他、王の権威破滅となる資質が明らかになった場合である。そのような性向は統治者には不向きであり、王宮においては危険な人物となる。

  たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物のみが、われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。

  病気に罹ったり精神障害があったりその他王たるにふさわしくないことがあった場合には、王は律法に従って統治の手綱をふさわしい者に譲らなければならない。

  通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて、最も親しい助言者たちにも知らされない。

  王と三人の顧問のみが、将来の計画を知っている。

  断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には、万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので、あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。

  王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に、前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは、そのためである。

  人民が王を敬愛するのは、王が市場などで人民に意見を述べることを欠かさいからである。現在ではわれわれが両者の間に恐怖の溝を作って引き離しているが、双方を結びつける必要がこれで満たされる。

  この恐怖は、時が至るまでは、両者をわれわれの影響下に置くためには必要欠くべからざるものである。

  ユダヤ王は自分の感情、とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも、荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも、明晰に見る力を殺ぎ、思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。

  ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は、人類の支柱であり、人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。

  われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。



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