預金封鎖の本当の意味とは

引用元:In Deep 地球最期のニュースと資料

預金封鎖の本当の意味とは
そういえば、先日、昔からの知り合いからの電話で、相手と話していた時に下のように話してきました。

相手 「なんか雑誌で読んだんだけどさー、預金封鎖って何? 対抗する手段ってあるの? 金(きん)とかどうなの?」
わたし「素人のオレに聞いてどうする。・・・しかし、オレの意見ではなく、元プロの意見では・・・」

ということで、いつだったか忘れましたけれど、買って放置してある「元日銀マンが教える預金封鎖」という本に書かれてあった中でウロ覚えしていたことを少し説明したのでした。
この本は元日銀の調査統計局というところに勤務されていて、日銀に怒りを覚えて辞めた本吉正雄さんという方が書かれたものです。
この本には、預金封鎖の歴史やメカニズムを含めて、長くいろいろと書かれてあるのですが、それらはともかく、ところで、「預金封鎖」とは何かということについて、私もこの本を読むまで「根本的な意味で勘違いしていた」のですが、皆さんは預金封鎖とはどのようなものかご存じでしょうか。
何となく「預金をおろせなくなる」ということのように思われるかと思います。
違うのです。
いや、違うわけではないのですが、預金封鎖の根幹は次の一点にあります。

「強制的に銀行に現金を預金させること」。

これが預金封鎖なのです。
つまり、タンス預金だとか、他の貯蓄方法を一切認めず、すべて銀行に預けさせるのが預金封鎖で、そして、その後は決められた額しか下ろせない。
参考までに戦後の昭和 21年 2月 16日に発令された「預金封鎖令」の内容について、上記の「元日銀マンが教える預金封鎖」から掲載します。
実際の法令の名称は「金融緊急措置令」です。


昭和21年2月16日に発令された「金融緊急措置令」(預金封鎖令)の内容
△ 現在流通している紙幣の通用は三月二日限りとする。
△ 新紙幣と旧紙幣の交換期間は二月二五日から三月七日までとし、交換限度は一人につき一〇〇円。それ以上の旧紙幣は預金として封鎖。
△ 封鎖預金からの現金引き出しは、一ヶ月につき世帯主三〇〇円、家族一人につき一〇〇円とする。給料の支払いは一人につき五〇〇円まで、それ以上は預金として強制的に預け入れ。
△ 臨時財産調査令によって、三月三日午前0時現在で財産調査を行い、財産税算定の基礎とする。




というようなものだったようで、あまり抜け道の作ることのできないものだったようです。
bank-1946.jpg
▲ 当時の新聞。

というようなことを電話の知り合いに簡単に話しました。
相手 「ふーん。じゃあ、結局どうすればいいわけ?」
わたし「オレやそっちみたいに財産も貯金もない人間は何もしなくていいよ」
相手 「ちょっとはあるよ。家とか」
わたし「あ、それは財産税の対象だ。当時の最高税率は90パーセント
相手 「そんなもん払えるわけないじゃん」
わたし「財産税を収められないと物納。つまり家を差し出す」
相手 「大変だったんだなあ」
わたし「日本で一番払ったのは天皇家。当時のお金で30億円以上払ったとか」



預金封鎖の対処
ちなみに、その本には対処法などの是非もいろいろと書かれてありますが、対処として、私たちのような一般人が出来ることで、もっとも効果的なものを一点挙げるとすれば、
小銭を貯める
ということになるようです
こう書くと馬鹿みたいですので、少し抜粋します。

過去の預金封鎖の事例をみても、生活に密着した少額の通貨については預金封鎖・財産税の徴収から免れている。
戦後の預金封鎖のときには一〇円以上(後に五円以上)の通貨が預金封鎖の対象となった。それ以下の少額貨幣は交換する手間が莫大になることもあって、預金封鎖の対象からは外されたのだ。ここに預金封鎖の穴を見つけることができる。
預金封鎖に対抗するために、明日から五百円玉貯金を始めよう。



とあります。
なお、知り合いが質問した「金(ゴールド)を持つこと」については下のようにあります。


預金封鎖・財産税を免れるために、実物資産としてゴールドを持つという方法をすすめる人もいる。
これはおすすめすることができない。なぜならば、ゴールドでもっていたとしても、いずれは通貨に換えなければ役に立たない。まさか金塊を持って買い物に行き、金貨で支払いをするわけにもいくまい。
そこで金の地金を通貨に換える必要が出てくる。しかし、預金封鎖・財産税が実施されているような状況で、金が自由市場で簡単に売買できるはずはない。
当然のことながら、そうした貴金属の売買は国家管理となるであろう。実際、戦時中はそうした方策で金を自由に売買することができなかった。



とあり、つまり、「金というのは経済や国家が安定している時には価値になるが、経済的な非常事態下では価値にならない」ということのようです。
さらに恐ろしいのは、戦後の場合は「財産供出」といって、そのまま単に没収されるだけといったことがあったのだそうで。没収に応じない場合は刑事罰が適用されたそうです。

それはともかく・・・・・なんで、ここまで話が脱線してしまったか・・・・・。

まあしかし。
人生のうちで1度くらい預金封鎖を経験するというのも、ダイナミックな資本主義のもとで生きている私たちとしては、いい経験かもしれません。

その現実味は日々増していますしね。

資産のある方と、私のように「ない人」の対処は違うでしょうけれど、結局は、
・衣
・食
・住
というものが人間の生きる三原則だとすれば、それをどうするかということだけの話ではないかとも思います。

というわけで、今回は変な方向の話となってしまいましたけれど、経済や金融もまた私たちの生きる現実ではありまして、そして、なければないに越したことはないとはいえ、今や「預金封鎖」という言葉は比較的一般的な言葉にさえなっているわけで、先はやはりわかりません。

これも昨日の記事のタイトルにしました「霧の中」のような先行きのわからないひとつなのかもしれません。

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